もやもや病と診断され、右半身が不自由になりましたが、「なすがままに、何とかなる」精神で結構明るく生きています!
一般病棟に移ってきた次の日でした。
私の病室に一人の女性の方がこられました。
それはリハビリの先生で、明日からリハビリを始めるという事でリハビリの説明や時間等を伝えに来てくれました。
その先生は理学療法士と言われる方で、私が立って歩ける様にリハビリをして頂ける先生でした。
後、腕(手)のリハビリには作業療法士と言う別の先生が担当してくださる事になりました。
リハビリを始めるのは早ければ早いほど良いらしく、早速次の日から始める事になりました。
食事の時に「なんとかせなアカン」と思ったのは確かですが、全く動かないこの手と足が本当に動くのか?と半信半疑で、動いてラッキー動かなくて元々。
けど、やるからには頑張ってリハビリをしよう。と気合を入れて初日のリハビリに挑みました。
最初のリハビリは病室でおこなわれました。
理学療法士の先生が来てリハビリを始めてくれたのですが、思っていた以上に楽なリハビリでした。
そのリハビリが終わると暫くしてから作業療法士の先生が病室まで来てくれて、手のリハビリが始まりました。
そちらのリハビリも思っていた以上に楽なリハビリで終わりました。
えっ、これで終わり?
「リハビリはつらい」「リハビリはたいへん」という話は、元気な頃から、なんとなく知っていたので、こんなに楽なのか!、知ってる話と全然違うやん。と思いながら、これでもし身体が動いたらほんまにラッキーやな、と半信半疑に思っていた気持ちが「これならいけるかも」という期待感に変わっていきました。
そして二日目のリハビリ。
昨日と同じ様に病室まで先生が来てくれて、リハビリが始まりました。
昨日よりは少しきつく感じましたが、それでも結構楽なリハビリが続き、理学療法士の先生も作業療法士の先生も本当に優しく、優しくリハビリをおこなってくれました。
そして、三日目、四日目となるにしたがって、「全然楽やん」から「えっ、むり、動かへんし、むり」とだんだんとリハビリがきつくなってきました。
先生の態度は相変わらず本当に優しく、優しく言葉をかけてくれるのですが、リハビリの要求内容はまるで鬼教官の様に日々変わっていくのでした。
また考えが変わりました。
「絶対についていってやる」
先生方は出来ない事に対しては決して何も言いません。もちろん怒ったりもしません。出来ない事に対して凄く丁寧に助言をくれるし、手伝ってもくれます。励ましてもくれます。
「ゆっくりでいいですよ。休んでもいいですよ。頑張りましょう。」
先生方は決して鬼ではないです。いや、私にとっては天使です。私の事を考えてくれて、一緒にリハビリを頑張ってくれている。天使です。感謝してます。
だけど「ほんまに、きついー!」
この病院は年に数回お世話になっていて、MRIや担当の先生の診断をして頂いています。
今までは、倒れた時から診て頂いていた先生だったのですが、その先生が転勤になり別の先生が私の担当医となりました。その初めての診察です。
前に担当して頂いた先生は優しい感じの方で、物の言い方も親切で丁寧な先生でしたので、今回の先生がどんな方なのか結構不安でした。
いつものように午前からMRIに耳栓をして(グワングワン めっちゃうるさいので)撮ってもらい、血液検査を受けます。診察はいつも午後からなのでその間に昼飯をとります。
実は私がここに来る一番の楽しみは昼飯で、食堂で昼飯を食べるのが大好きなんです。この病院が特別ではなく、食堂という場所で食べるのが大好きなんです。
話がそれますが、私が大好きな食堂というのは安くて量が多い、そして独特の雰囲気が漂っている(独特の雰囲気というのが説明できずにすいません)お店なのですが、最近では町中でも私の中の食堂と言われるお店も少なくなり、先日も近くにあった食堂も閉めてしまいました。
そんな中、この病院は私の中の食堂で安くて量が多くて、しかも旨い!
そんな至福の時を過ごしてから、午後の診察に向かうのでした。
私の名前が呼ばれ、診察室に入ると新しい担当の先生が座っていました。結構若い先生で(若いと言っても見た目なので歳はわかりませんが)見た目は少しきつそうな感じやなぁと思いましたが、話をしてみるとそうでもなく、親切に丁寧に説明をして頂きました。その説明の際に言われたのが、外科手術のことでした。
実は私は外科手術をおこなっていません。
脳出血で倒れて入院した際にもやもや病とわかり、外科手術の話を勧められていました。
私も色々考えました。もやもや病の方ならご存じだと思いますが、外科手術が今の治療方法としては最適な事であり、今後「生きたい」と思えば手術をするのが一番なのです。
そんな事はわかっているのですが、私にとっては初めての手術になりますので、不安もかなりありました。
以前の担当の先生は内科の先生で、手術に関しては「リハビリが終わってからでも良いので、よく考えてみて下さいね」と言ってくれましたので、リハビリが終わるまで私なりに色々と考えていました。
しかし色々考えていくと、わからない事や聞きたい事が一杯出てきました。
外科の先生の診察でその辺りの事を質問してみよう。その上で家族の為、もちろん自分の為に外科手術を受けようと決めました。
ひと昔前はネットというものがなく、調べものといえば本が中心でした。
ちょっとした調べものの場合は本屋さんに行き、ちょいと立ち読みなんかをして内容を頭に叩き入れ、情報を手に入れてました。
しかし、こんな特殊な病気だと本屋さんに行ったトコロで、なかなか情報を手に入れる事はなかったと思います。
そんな時は図書館に行ったりして調べる事になるのでしょう。
まず私の性格からいくと図書館にまで行って調べるような性格ではないのですが
さすがにこんな時は行って調べたかもしれません。
それを考えるとホントにネットは便利ですよね。
ネットで「もやもや病」と入れて調べると
たくさんのサイトが検索され、病気の事についての情報が色々得られます。
どんな病気かとか、どんな症状かとか、治りませんよ
みたいな情報がほとんどで、最初のうちはフンフンと読んでいましたが
私が本当に知りたい情報とは少し違っていました。
私が知りたかった情報というのは
いつまで生きれるの?という事でした。
すでに脳出血も起こしたし、右半身も不自由になったし
私の中であと残っているのはやはり、いつまで生きれるの?でした。
「大丈夫、病気っていうだけで死ぬことはないよ」って事を言ってもらえたら
もやもや病だという事はただの通過点で
右手右足は不自由にはなりましたが
終わった過去として自分の中で整理する事ができました。
しかし、調べていくうちにそうではないという事がわかりました。
人は生き物であって、どれだけ生きれるかという保証は誰にもありません。
健康な人だからとか、体が弱い人だからとかいっても、みんな同じように保証はなく、ただその人の状態などによって確率が良くなったり、悪くなったりするだけです。
私も同じなのです。
ただ、みんなと違うのは「もやもや病」というくじ引きの箱から、くじを引かなくてはならないという事だけなのです。
確率の悪いくじ引きを、毎年引かなければならないとわかりましたが
今まで生きてきて宝くじなんかに当たったこともないし
懸賞なんかも当たったこともありません。
まぁ「もやもや病」という当たりを引いたし
くじ運のない私は「これ以上は当たる事はないやろ」
と思いながら毎日を過ごしております。
ただ、人の話し声も聞こえるし、看護師さんや患者の人たちが目に入ってくるだけで「少し体が良くなったんちゃう」と勘違いを思わせるぐらい、気分的にはだいぶ楽になりました。
あと一般病棟と集中治療室にいた頃の大きな違いは何といっても
食事が取れるという事でした。
集中治療室にいた時は食事をとる事ができず
口にできるのは水ぐらいで
食べ物好きの私にとっては最高のイベントでした。
病院嫌いの私はもちろん入院する事も初めての出来事なので
いわゆる病院食も初めてでした。
私が知りうる「病院あるある」では、
病院食は不味いとか、味が薄いとか
良いあるあるは聞いた事はありませんでした。
しかし今の私には口に食べ物を入れれるという事が最重要課題で
不味いとか味がどうとかは私には全く関係ありませんでした。
お昼がまわった頃にこの病室に移ってきましたので、夕飯までは少し時間がありましたが
もうソワソワして仕方ありません。
だからといって看護師さんに
「何時から夕飯ですか?」なんて聞けません。
「体の見た目と同じやね」と思われるのが恥ずかしかったので・・・。
しかし、お腹が減っている訳でもありません。
ただ、ホントに単純に楽しみだっただけなんです。
ここで必死に訴える事ではありませんが(笑)
ガチャガチャと廊下から音が聞こえてきて
ついに私の所に夕食が運ばれてきました。
待ちに待った夕食です。
「あれ?どうやって食べんねん?」「右腕全く動かんやん」「そっか左手か!」
使った事のない左手を使い夕飯を食べますが
なかなかうまくいきません。
袋に入ったストローもどう開けたらいいかわからず、口と左手を使って袋をあける。
ストローを取り出してもジュースにストローをさせない。
「手が動かない」という事はこういう事なんやと
楽しみにしていた夕食が私に現実をぶつけてきました。
なれない左手を使って必死に食べて
なんとか食事はできましたが
やっぱりジュースにストローをさすことはできませんでした。
看護師さんが様子を見に来てくれて「ごめんね」
と言ってストローをさしてくれましたが
「これではアカン。自分でなんとかせんと・・・」
倒れてから初めての、そして楽しみにしていた食事で私は決意しました。
そこからは高くはないですが山が見えていました。救急車で運ばれている時に「えらい長い事走ってるなぁ」と感じていて、実際ここの病院はどこにあるのか解っていませんでした。
私は脳内出血をして右半身が動かなくなったのですが、実はその影響で言葉を話す事もおかしくなっていました。
耳から聞こえる言葉は今までと同じように解りますし、理解もできます。
けれど自分が思ったことを口にすると全く別の単語が出てきてしまい、意味不明な文章になってしまうのです。
また自分の言葉を自分の耳で聞いていると
「なにを喋ってるんや、全然意味わからんやん」となってしまい
喋って意思を伝える事ができずに、動く左手でジェスチャーをして、何とか解ってもらおうとしていました。
話が出来ないという行為がたまらなく悔しくて、辛かったのを覚えています。
だから妻が面会に来てくれていましたが、病院の場所を聞く事ができませんでした。
山が見える所などたくさんあるし、今まで入院なんてした事もなく、ましてや病院ぎらいだった私が知りうる病院は近所だけでした。
ここがどこの病院なのかを気にしても仕方がないのですが、普段から家にいる事が少なく外へ出かける事が好きだったので、ベッドから見えるのが山しかないので退屈で仕方ありませんでした。
体を起こしても窓からは山しか見えず、近くの建物やすぐ下の状況などは全然わからなくて
ここはどこでしょう?
と言われてもヒントは山だけなので
「わかるはずないやん」と自分でツッコミをいれていました。
小説なんかで出てくる様な「山を眺めていると、色んな景色や表情を見せてくれる」
と言った様な事は全く感じられず
山はずっ~と山で一緒でした。
見る人が見たらその山の表情が解るのかも知れませんが、私は美的感覚が鈍いのでしょうか?
私にはいつもの木の生えた山としか思えませんでした。
この頃の楽しみと言えば検査をする為に病室から運び出されて行く事でした。
ベッドに横になったままゴロゴロと押してもらい、少し違った景色が見れるのはメチャクチャ嬉しかったです。
しかも横になったままの状態で移動するというのは
「なんと贅沢な事なんだ」と王様になった気分で、更に楽しみを倍増させてくれました。
今後あんな王様気分を味わうことが出来るのは、大金持ちになった時か
また倒れて病院に担ぎ込まれるぐらいしかないなと今では思っています。
まだ食事も取ることもできず
点滴を四六時中付けていましたが「明日から一般病棟へ移りますよ」と聞いて
「窓側のベッドがいいなぁ」と思ながら
数日間お世話になった集中治療室と
サヨナラする事になりました。
ただ看護師さんが「おはよう」と声をかけてくれたので朝だというのは解りました。
看護師さんの「おはよう」は冷たくはないのですが、やけに落ち着いていて「平凡な一日のはじまりですよ」と言われている様な感じがしました。
その時、「あぁ、手術みたいなものはないんや」と思い、真っ先に体を動かしました。
「もしかしたら、全て夢だったかもしれない」と思ったからです。
案の定、動くはずはありません。だって現実ですから。
昨日から今の今までは
「手術とか何かしたら動く様になるし、大丈夫やろ」と思っていましたが
看護師さんの「おはよう」と体を動かしても動かない現実に
今は「こりぁアカンわ」に考えが一変しました。
けど考えが一変した事で気持ちがすう~と楽になりました。
「できないものは、できない」私はそんな性格です。
「出来ないものは、頑張って出来る様にしなさい。」とか
「すぐにあきらめるな。」とか
昔からよく親や周りから言われましたが
この性格が良かったのか悪かったのか
この日の朝、気持ちは吹っ切れました。
次に考えたのは家族の事でした。
飯食わしていかなアカンし、このまま仕事できるかなぁ。
仕事でけへんかったらお金無いしなぁ。
あっ、頭がやられて変な感覚やし
もしかしたら超能力みたいな直感が出てきて競馬がバンバン当たるかも!
など不真面目に思われるでしょうが、そんな事まで真剣に考えていました。
親や兄弟が集中治療室まで見舞いに来てくれて
「みんなの事は心配するな、自分の体の事だけを考えろよ」
と言ってくれましたが、そうはいきません。
ベッドの中で色々な事を考えるのですが
何しろ集中治療室では携帯を使う事が出来ません。
知りたい情報も知る事が出来ず、どうやって飯食わしたらええねん!
とイライラしながら真剣にしょーもない事も含めて考えてました。
朝いつものように起きてご飯を食べてトイレに行き、トイレから出る時ドアを持った右腕が、ストンと下がってしまいました。
体から力が抜ける感じがして「あれ?」と思いつつも再度右腕を上げてみます。
一旦はあがるのですがまた、ストンと下がってしまいます。
おかしいと思いながら左手でドアを開け、廊下を歩いていると右足からも力が抜けていき、体が斜めになっているのを感じました。
私はとっさに「あたま、やられた」と思い
すぐに会社に「今日病院へ行きたいので、休ましてほしい」と電話で連絡
(サラリーマンの性やなぁ)
妻には思うように体が動かないと告げました。
まだその時は少し力が入ったので
なんとか妻の手を借りながら服を着替えていましたが、着替え終わった時にはほとんど右半分は動かなくなり、妻はすぐに救急車を呼んでくれました。
しゃべる事もだんだんと出来なくなってきて
「これは死ぬのかなぁ」と思い
ろれつが回らない言葉で
「子供たちを頼むな」とだけ言いましたが
後で妻に聞いたらそんな言葉
「全然覚えてないわぁ」と笑って言ってくれました。
救急車が到着して結構ガタイの良い私を(太っているだけ)
救急隊の方(男性と女性の方)が一生懸命運んでくれたのですが
「重くてすいません」と
本当に申し訳なく思った事を今でも忘れられません。
(その節はありがとうございました。)
救急隊の方から名前は?とか、生年月日は?
とか聞かれて一応答えてはいましたが
「今答えた名前も生年月日も合ってたっけ?」と頭の中がよくわからず
自分と自分じゃない自分と2人の人間が
一つの体を共有しているような感覚になっていました。
ガンダム世代の私にとっては今の自分はガンダムで
頭の中にアムロが乗っているといった感じでしょうか。
(かなり分かりにくい表現だと思いますが)
救急車の中で私は病院に着いたらすぐに手術をして、一か月ぐらいで体も動き退院が出来るものだと意外と安易に思っていました。
いざ病院に着くとかなりの方が私に付いてくれて
色々な処置や検査等をしてくれたのですが
手術らしき事はせず集中治療室に入りました。
さっきまでバタバタとしていたのですが
私の周りが急に静かになり、ベッドに横になったまま時間がどんどんたっていき
「手術とかせえへんのかなぁ」
「明日手術すんのかなぁ」
「このまま体が動かへんのかなぁ」
とだんだんと不安になっていき、無理やりその日は寝たのを覚えています。
プロフィール
ぐっさん
もやもや病
HN:
ぐっさん
性別:
男性
趣味:
海での釣り
自己紹介:
はじめまして、
ぐっさんと言います。
もやもや病という得体の知れない病気にかかり、右半身が不自由になりました。
なんとかリハビリのお蔭でかなり回復し、大好きな釣りがやっとできる様にまでなりました。
日常の事、病気の事など書いていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
ぐっさんと言います。
もやもや病という得体の知れない病気にかかり、右半身が不自由になりました。
なんとかリハビリのお蔭でかなり回復し、大好きな釣りがやっとできる様にまでなりました。
日常の事、病気の事など書いていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
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