もやもや病人生

もやもや病と診断され、右半身が不自由になりましたが、「なすがままに、何とかなる」精神で結構明るく生きています!

病院に運び込まれて3日目に集中治療室内で、窓から外の景色が見える場所に移されました。
そこからは高くはないですが山が見えていました。救急車で運ばれている時に「えらい長い事走ってるなぁ」と感じていて、実際ここの病院はどこにあるのか解っていませんでした。

私は脳内出血をして右半身が動かなくなったのですが、実はその影響で言葉を話す事もおかしくなっていました。

耳から聞こえる言葉は今までと同じように解りますし、理解もできます。
けれど自分が思ったことを口にすると全く別の単語が出てきてしまい、意味不明な文章になってしまうのです。

また自分の言葉を自分の耳で聞いていると
「なにを喋ってるんや、全然意味わからんやん」となってしまい
喋って意思を伝える事ができずに、動く左手でジェスチャーをして、何とか解ってもらおうとしていました。

話が出来ないという行為がたまらなく悔しくて、辛かったのを覚えています。
だから妻が面会に来てくれていましたが、病院の場所を聞く事ができませんでした。

山が見える所などたくさんあるし、今まで入院なんてした事もなく、ましてや病院ぎらいだった私が知りうる病院は近所だけでした。

ここがどこの病院なのかを気にしても仕方がないのですが、普段から家にいる事が少なく外へ出かける事が好きだったので、ベッドから見えるのが山しかないので退屈で仕方ありませんでした。

体を起こしても窓からは山しか見えず、近くの建物やすぐ下の状況などは全然わからなくて
ここはどこでしょう?
と言われてもヒントは山だけなので
「わかるはずないやん」と自分でツッコミをいれていました。

小説なんかで出てくる様な「山を眺めていると、色んな景色や表情を見せてくれる」
と言った様な事は全く感じられず
山はずっ~と山で一緒でした。

見る人が見たらその山の表情が解るのかも知れませんが、私は美的感覚が鈍いのでしょうか?
私にはいつもの木の生えた山としか思えませんでした。

この頃の楽しみと言えば検査をする為に病室から運び出されて行く事でした。

ベッドに横になったままゴロゴロと押してもらい、少し違った景色が見れるのはメチャクチャ嬉しかったです。

しかも横になったままの状態で移動するというのは
「なんと贅沢な事なんだ」と王様になった気分で、更に楽しみを倍増させてくれました。

今後あんな王様気分を味わうことが出来るのは、大金持ちになった時か
また倒れて病院に担ぎ込まれるぐらいしかないなと今では思っています。

まだ食事も取ることもできず
点滴を四六時中付けていましたが「明日から一般病棟へ移りますよ」と聞いて
「窓側のベッドがいいなぁ」と思ながら
数日間お世話になった集中治療室と
サヨナラする事になりました。

小さな頃はそんなに無かったのですが、中学生を過ぎた頃からでしょうか、よく頭痛に悩まされる事がありました。
どんな頭痛かというと、頭の中からチクチクと針で刺される様な感じの痛さで、中々それは痛いものでした。

けど、頭が痛くなっても結構すぐにおさまってくれるのと、周りでも片頭痛やよく頭が痛くなるという人は結構多くて、私もその中の一人だと思っていました。
なので頭痛に対しては、あまり気にする事はありませんでした。

しかし、そのチクチクという痛みは、もやもや病で倒れるまでの間はずっと、私を悩ませ続けていました。

頭の中に小さな小人がやって来るんです。
その小人はヤリを持っていて不敵な笑いを浮かべながら、エイエイと頭の中を突いてまわるのです。
その小人はヤリで私の頭の中を突きまわし、私を困らせてから、ふっと、どこかへ行ってしまうのです。

いつ何時あいつがやってくるかはわかりません。
続けてくる事はあまりなく、たいてい忘れた頃にエイエイとにっくき小人がやってくるのです。

しかし、もやもや病で倒れた頃から頭痛のタイプが変わってきました。
ヤリを持った小人はそれ以来ご無沙汰で、変わりに太鼓を持った踊り好きの小人やってくる様になりました。

そいつもいつ来るかわからないのですが
ヤリの小人よりも頻繁にやってきては私の頭の中で祭りをしていきます。
小人は太鼓をたたきながら、頭の中をグルグル踊り回っていきます。
毎回祭りは意外と長く続き、そこそこガンガンやってくれるのでかなり厄介なヤツらで困っています。

頭痛で困っている、もやもや病の方はかなり多いみたいです。
もやもや病になった人のブログなどを見ても、頭痛に関してのブログが結構あったり、もやもや病について説明されているサイトを見ても、頭痛について書いている項目もよく見られます。

頭痛の種類とか痛みの頻度などは人によって違うでしょうが、頭痛の悩みはみんな一緒なんですよねぇ。

元々頭痛持ちだったという事もありますが、倒れた時期を境に頭の痛みの種類が変わったという事はやはり「もやもや病」と何かの関係性があって、みなさんも苦労されているんだなぁと思いながら、今日も頭の祭りと戦っております。

私はもやもや病とわかる前から、すでに厄介な病気を持っております。
それは腰の病気、ヘルニアです。

腰がわるいという人は結構おられると思います。
軽い症状のものから重い症状のもの、色々な痛みや違和感をおぼえるものまで、腰の痛みは永遠のテーマになりうる程、たくさんの人を悩ませて苦しめる病気ではないでしょうか。

私はメチャクチャ重いとまではいきませんが、一年に一回ぐらいの頻度で立てなくなります。

初めて立てなくなったのは、まだ独身で遊び盛り(いや働き盛りの間違いです)の20歳後半のことでした。

朝、いつもの様にベッドから起きようとした瞬間、
ドン!とベッドから落ちてしまいました。

足は痛くて動かんは、腰も痛くて動かんは
何が起こった全く分からない状態で
しばらくベッドの下で体を動かすことが出来ず、ぼ~っとしていました。

当時寝ていたのは家の2階で、体のデカイ私がベッドから勢いよく落ちたものですから、音はデカイは家は揺れるはで、下からオカンが慌てて上がってきて
「どうしたん!」とびっくりしていました。

当時はまだ若かったせいか
しばらくすると痛みはありますが立てる事はできて、2~3時間程で痛みも取れていました。

それからも多々そういう事がありましたが、ある程度で痛みも無くなる事もあり、病院嫌いだった私は病院まで行くといった事はありませんでした。

しかし30歳を過ぎた頃から一年に一回程の頻度になり、年々動ける様になるまでの時間が長くなっていきました。

病院嫌いだった私もその頃からは、痛みが少し収まって立てる様になるまで待って、その後一応病院には行くようにしていました。

最初にお世話になった病院でヘルニアと診断され、コルセットを勧められたのですが
「あなたに使える様な大きなコルセットはないなぁ」、と言われ痛み止めの薬だけを貰って帰りました。

コルセットを勧めておいて使えるコルセットが無いと言われて、少し(ほんまに少しですよ)腹が立ってしまいましたが、「そうですよね~、はっは」と私は笑いながら、翌年の腰痛では違う病院のお世話になっていました。

最近では腰が痛くなる前兆として、立っていると両足のふとももの外側辺りがピリピリと痛くなってきます。
しかし、座っていても寝ていても、痛みが治まらない様になるとキケン信号です。
こんなときは出来るだけ仕事から帰った後は横になり安静にしています。

腰痛持ちの人と話をしますと、ほとんどの人が私と同じ様に足がピリピリ痛くなると言っています。

腰痛は永遠のテーマです。
ネット上でも色々な事が書かれていたり、病院や接骨医院の宣伝文句、はっきり言ってどれが正しいのかどの病院へ行けば良いのかわかりません。
みなさんは何を参考にしてますか?

私はとりあえずピリピリくると
「頼むから、腰痛こんといて」と寝る時に3回お願いしてます。

病院での最初の朝は、寝ていたのかそれとも、一瞬だけ目をつぶっただけなのか解らないぐらいの目覚めでした。
ただ看護師さんが「おはよう」と声をかけてくれたので朝だというのは解りました。
看護師さんの「おはよう」は冷たくはないのですが、やけに落ち着いていて「平凡な一日のはじまりですよ」と言われている様な感じがしました。

その時、「あぁ、手術みたいなものはないんや」と思い、真っ先に体を動かしました。
「もしかしたら、全て夢だったかもしれない」と思ったからです。
案の定、動くはずはありません。だって現実ですから。

昨日から今の今までは
「手術とか何かしたら動く様になるし、大丈夫やろ」と思っていましたが
看護師さんの「おはよう」と体を動かしても動かない現実に
今は「こりぁアカンわ」に考えが一変しました。
けど考えが一変した事で気持ちがすう~と楽になりました。

「できないものは、できない」私はそんな性格です。
「出来ないものは、頑張って出来る様にしなさい。」とか
「すぐにあきらめるな。」とか
昔からよく親や周りから言われましたが
この性格が良かったのか悪かったのか
この日の朝、気持ちは吹っ切れました。

次に考えたのは家族の事でした。
飯食わしていかなアカンし、このまま仕事できるかなぁ。
仕事でけへんかったらお金無いしなぁ。
あっ、頭がやられて変な感覚やし
もしかしたら超能力みたいな直感が出てきて競馬がバンバン当たるかも!
など不真面目に思われるでしょうが、そんな事まで真剣に考えていました。

親や兄弟が集中治療室まで見舞いに来てくれて
「みんなの事は心配するな、自分の体の事だけを考えろよ」
と言ってくれましたが、そうはいきません。
ベッドの中で色々な事を考えるのですが
何しろ集中治療室では携帯を使う事が出来ません。
知りたい情報も知る事が出来ず、どうやって飯食わしたらええねん!
とイライラしながら真剣にしょーもない事も含めて考えてました。

私が倒れたのは38歳の時、急に寒くなりかけた秋の中頃でした。
朝いつものように起きてご飯を食べてトイレに行き、トイレから出る時ドアを持った右腕が、ストンと下がってしまいました。
体から力が抜ける感じがして「あれ?」と思いつつも再度右腕を上げてみます。
一旦はあがるのですがまた、ストンと下がってしまいます。
おかしいと思いながら左手でドアを開け、廊下を歩いていると右足からも力が抜けていき、体が斜めになっているのを感じました。

私はとっさに「あたま、やられた」と思い
すぐに会社に「今日病院へ行きたいので、休ましてほしい」と電話で連絡
(サラリーマンの性やなぁ)
妻には思うように体が動かないと告げました。

まだその時は少し力が入ったので
なんとか妻の手を借りながら服を着替えていましたが、着替え終わった時にはほとんど右半分は動かなくなり、妻はすぐに救急車を呼んでくれました。

しゃべる事もだんだんと出来なくなってきて
「これは死ぬのかなぁ」と思い
ろれつが回らない言葉で
「子供たちを頼むな」とだけ言いましたが
後で妻に聞いたらそんな言葉
「全然覚えてないわぁ」と笑って言ってくれました。

救急車が到着して結構ガタイの良い私を(太っているだけ)
救急隊の方(男性と女性の方)が一生懸命運んでくれたのですが
「重くてすいません」
本当に申し訳なく思った事を今でも忘れられません。
(その節はありがとうございました。)

救急隊の方から名前は?とか、生年月日は?
とか聞かれて一応答えてはいましたが
「今答えた名前も生年月日も合ってたっけ?」と頭の中がよくわからず
自分と自分じゃない自分と2人の人間が
一つの体を共有しているような感覚になっていました。

ガンダム世代の私にとっては今の自分はガンダムで
頭の中にアムロが乗っているといった感じでしょうか。
(かなり分かりにくい表現だと思いますが)

救急車の中で私は病院に着いたらすぐに手術をして、一か月ぐらいで体も動き退院が出来るものだと意外と安易に思っていました。
いざ病院に着くとかなりの方が私に付いてくれて
色々な処置や検査等をしてくれたのですが
手術らしき事はせず集中治療室に入りました。

さっきまでバタバタとしていたのですが
私の周りが急に静かになり、ベッドに横になったまま時間がどんどんたっていき
「手術とかせえへんのかなぁ」
「明日手術すんのかなぁ」
「このまま体が動かへんのかなぁ」
とだんだんと不安になっていき、無理やりその日は寝たのを覚えています。

私は昔から苦手な物が3つありました。
数えれば苦手な物は3つでは足りないのですが、なかでも特にという3つが、マラソン、納豆、ゴ○ブリです。

特に3番目のヤツは名前を書くのも恐怖で、伏字にしても恐怖です。

2番目の納豆は関西人ならある程度賛同を受けるような物で、私の周りでは結構アリなものです。
中でも1番目のマラソンは運動がキライな私の中でも一番苦手な物です。

私の住んでいた小中学校は田んぼにかこまれた、いわゆるのどかな場所に立っていました。

そんな場所に立っている学校ですので
体育の授業のウォーミングアップといえばマラソン。
秋には恒例のマラソン大会。
冬には朝早く登校させられ、一か月もの間走らされるマラソン月間。
マラソン、マラソン・・・と本当にキライでした。

キライでもそこそこ走れれば良いのですが
またこれがかなりの低タイムでどうしようもない状態でした。
今思えば、もやもや病が原因?と思えば思えるかもしれませんが
それはただ単に運動オンチなだけでしょう。

あと、今ブログを書いていて思い出したことがあるのですが
もう一つ苦手な物
何で今まで忘れていたんだ!と思うぐらい苦手な物。
それは、サウナです。

昔仕事で遅くなった時は
よくカプセルホテルに泊まっていました。

ホテルのお風呂に行くとサウナがあるのですが
1分たりとも中にいる事ができず苦しい思いを何回かしました。

そういえば、子供の時もお風呂が苦手で長く入る事ができず
一旦お風呂を出て息を整えてからまたお風呂に入っていたのを覚えております。
息苦しくなって、頭がクラクラして、もしかしてこれこそ
もやもや病の影響だったのかなぁと今考えればそう思います。

もやもや病のみなさん、
私と同じようにサウナが苦手という方、同じような事がありますか?

私は激しい運動をした後
たいてい手が震えてしばらくすると収まる。
といった事が子供の頃からよくありました。

それはみんなも同じだと思っていたのですが
それも病気のせいなのでしょうか?

こうやってブログを書くことによって
自分をもう一回見直すというか
色々と思い出せる事が出来て
今かなり楽しい気分になれています。
まだ、もうちょっとブログを続けていけそうな気分です。




「もやもや」という言葉、ブログのタイトルでも使用させてもらってますが、私にとっては一生ついて回る言葉になりました。
「もやもや病」です。

元々は「ウィリス動脈輪閉塞症」という名前だったらしいですが、今では「もやもや病」という正式名称になりました。

難病指定されている病気ですが、私はその病名を知らず
初めて担当医からお話しがあった時は、その名前に「そんな名前、冗談やろ?」
と聞き返したぐらいでした。

その時「ウィリス動脈輪閉塞症です。」と言われていたら
右半身が完全に動かなくなった私はかなり気落ちして、先生からの病気の説明を聴いていただしょう。

けど、少し間の抜けた感じがしたその名前が
落ち込んでいた私の気持ちを少し楽にしてくれたような気がしました。
(病状は全く一緒なのですが・・・)

一生懸命に病気について担当医の先生は私に説明をしてくれて
その時はじめて病名を知り、難病である事
一生付き合っていかなくてはならない事などがわかりました。

その話の内容は
私に光が差すような話はあまりありませんでしたが、それは私の中で起きている事実なのだと、案外素直にそれを受け入れる事ができました。
今でもそれは変わりません。

世の中にはたくさんの「もやもや病」の方がおられると思いますが
こんな人間もいるという事を知ってもらえたらなぁ、と思います。
これからも、少しずつですが書いていきたいと思っていますので
よろしくお願いします。







プロフィール
もやもや病
もやもや病
2017
HN:
ぐっさん
性別:
男性
趣味:
海での釣り
自己紹介:
はじめまして、
ぐっさんと言います。
もやもや病という得体の知れない病気にかかり、右半身が不自由になりました。
なんとかリハビリのお蔭でかなり回復し、大好きな釣りがやっとできる様にまでなりました。
日常の事、病気の事など書いていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
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