もやもや病人生 もやもや病

もやもや病と診断され、右半身が不自由になりましたが、「なすがままに、何とかなる」精神で結構明るく生きています!

一般病棟へ移ってリハビリを始めてから数日が経ち、なんとか自分で車いすに乗れるようにもなりました。

最初は看護婦さんか作業療法士の先生の見ている前ではないと、車いすの乗り降りは禁止でしたが、リハビリのおかげで一人でも乗り降りの許可がでました。

許可が出る前は、病室からリハビリ室までの往復だけのつまらないものでしたが、一人でも乗り降りできるという事は、一人で車いすに乗って病院内を探検できるという事なのです。

私は身体の右半分が不自由になってしまいましたので、動くのは左手と左足だけです。しかし乗り降りの許可が出た頃には、何とか両足で立つことだけはできる様になっていて、歩行も4点杖を使ってなら少しは歩ける様にもなっていました。
4点杖というのは、みなさんがよく知っている杖(1点杖といいます)とは少し形状が違っていて、取っ手の部分は同じなのですが、地面に付く部分が1点ではなく4点になっていて、かなり安定していています。
杖自身を直立して立てて置けるぐらい安定しています。

私はまず4点杖を使って歩くリハビリをしましたが、「これはなんと素晴らしい道具なんだ」と感動すらした程のかなりの代物です。

この4点杖を病院のリハビリ室から常時借りていて、私はこの4点杖を相棒と呼んでいて、この病院を離れるまでずっと一緒に過ごしました。

ベットから車いすへの移動の仕方なのですが、ベッドの横に車いすを寄せて4点杖を使いながら立ち上がり車いすに着地する。
ただこれだけの事なのですが、最初の頃はかなりきつくて大変でした。一日に何回も何回もできるような事ではなく、かなり自分自身に気合を入れないとできない作業でした。
ただ病室から離れ、一人で行動したいという一心で頑張ってました。

先程も言いましたが、この時にはなんとか立つ事はできたのですが、右手の方はほとんど動いてはいませんでした。車いすに乗ったのはいいんですが、右手は使えません。

車いすというのは両手で車輪を回して前に進むものです。私のような片手で車輪を回すとどうなるかというと、お分かりだとは思いますが前に進む事ができません。その場でクルクル回るだけです。
本当に予想以上に回ります。
クイズ〇イ〇ショックの罰ゲームとまではいきませんが、前には進めません。

そこで私は車輪を回すのではなく、身体が動く左足で漕ぐという事をして前に進んでいました。

両手は車いすの取っ手に置いて、ひたすら片足のみで前に進む。
見た目もヘンナ感じですが、漕いでいる私はかなりの体力を消耗します。

ダイエットしとけばよかった。
「食べすぎや、もうやめとき!」と嫁さんに言われてケンカした時もあった。

そんな事を思いながら病院の1階にあるコンビニに一生懸命に、ひたすら車いすを漕いでいき、今まで我慢に我慢をしていた「やきそばパン」を買いにいった。

私の担当医である先生に、外科手術を受けないと伝えてから約5年が経ちました。
先生とは定期診断の時に会って話をしますが、先生は手術の事に関しては聞いてはきませんでしたし、私も話す事はしませんでした。

このまま手術に関しては話に出る事はないだろうし、私も受けるつもりはありませんでした。

しかし、先生から
「転勤が決まってしまい、次回から別の先生に担当が変わります。次の担当の先生にはちゃんと色々と伝えておきますね。」と言われました。

色々と良くして頂いていた先生だったので、かなり残念でしたけど、「私もついていきます!」とは言えないので、今までの感謝の気持ちを伝えて診察室を出てきました。

そして、次の定期診断の時に現在の先生に出会う事になりました。「外科手術が一番良いらしいけど1(手術を受ける?編)」

先生は以前の担当の先生から、私が外科手術を受けないという事を聞いてくれていました。
その事も私に話してくれた上で、
「今も手術を受けるつもりはないですか?」と聞いてきました。
あえてなぜ受けないのかは聞いてきません。先生の優しさなのでしょう。

その後も先生は、外科手術の重要性について丁寧に説明をしてくれましたが、私は、手術を受けるとは言いませんでした。

最後に先生は「手術の事とか、解らない事とかあったら、いつでも来てください。」と言ってくれて、次回の診察日を予約して帰りました。


私は外科手術を受けていない事を肯定している訳でもないですし、私は受けてないけど大丈夫ですよ。とか言っている訳でもないです。
難病といわれている「もやもや病」の治療方法は、現在ではやはり外科手術が一番なのです。

もやもや病の方で外科手術を受けた人はたくさんいると思います。

けど、私のように手術をためらっている人もたくさんいると思います。
私の様に手術が怖いと思う人もいると思いますし、手術を受けた後の後遺症とかを考えている人もいると思います。
特に女性の方は身体にメスを入れるとなると、かなり悩まれると思います。

けど、最終的には自分で決めなくてはならないのです。
一杯、いっぱい悩んで決めたら良いと思います。
色んな人にも、いっぱい相談もしたら良いとも思います。
生死を懸けなくてはならない事かも知れませんが、いっぱい悩んで、いっぱい考えたら良いと思います。

だって、「もやもや病」も自分の人生のひとつなんですから。

以前のブログでリハビリの事を書かせて頂いた時に、理学療法士の先生と作業療法士の先生の紹介をさせていただきました。

私が倒れてしまった時に身体の右半分が動かなくなり、その右足のリハビリをして頂いた先生が理学療法士の先生で、右腕のリハビリをして頂いたのが作業療法士の先生でした。

実はもう一つリハビリをして頂いていた先生がいます。
それは言語聴覚士の先生でした。
私が倒れた時に右半分の身体が動かなくなっていましたが、言葉にも障害が出ていました。
私が考えた言葉がその通りにはしゃべる事ができず、全然違う言葉で喋ってしまうのです。

集中治療室で、のどがめちゃくちゃ渇いたので
「水が飲みたい」と言いたかったのですが、

「ご飯が食べたい」
とか言ってしまうのです。

私は確かに食いしん坊ですが、今ご飯が食べるれる現状かそうでないかぐらいは、わきまえているつもりです。いい歳でしたし。

けど、言ってしまうのです。
なぜ訳の解らん事を言っているのか自分ではわからないのですが、耳から聞こえた言葉は、今までと同じ様に聞こえるし、判断ができるのです。

だから、自分の言った言葉に
「ちゃうちゃう、水がほしいねん」と頭の中でツッコミをいれ、また言い直して看護婦さんに
「ご飯が食べたい」

あー、あかんがな、また同じこと言っとるがな・・・

となってしまい、動く左手を横に振り、自分ののどを指さして伝えるような事をしていました。

看護婦さんも慣れたもので、言葉がうまくしゃべれないのを解っていたのでしょう、水を持ってきてくれて飲ましてくれました。

しかし、倒れてから日数が進んでくると、自然と訳わからん言葉病は無くなってきました。

先生いわく、頭の中で出血するとその出血したものが、周りの脳を圧迫してそういった現象になると言ってました。
ただ、段々と出血したものが脳内で吸収されて元に戻ったりするらしいです。もちろん元に戻れば良いですが、そうでない事もあるようです。

私の場合は本当に戻ったのか?

昔から、しゃべり好きで笑い好きの私にとっては、
「あかん!元にもどってない!」と思って先生に相談しました。
すると先生は言葉の方もリハビリをしてもらいましょうと言ってくれました。
そこで来てくれた先生が言語聴覚士の先生でした。

若い男の先生で、とても優しい先生でした。白衣を着ているので先生と見分けがつきますが、多分普段着だと、優しそうな学生さんと間違えてしまう様な方でした。
いつも身体のリハビリを終えると、その先生と部屋の中でのリハビリを始めました。

本の朗読をしたり、絵の描いたカードを何枚も出して「これは何ですか?」と絵に描いてあるものを言ったりと、まるで小学生の授業の様な時間でしたが、その時の私の状況ではかなりの刺激になりました。

先生のおかげで、段々と自分でも思った事をしゃべれるようになってきました。すると先生は
「もう大丈夫でしょう。これでリハビリを終わりましょう」

と言ってくれましたが、しゃべり好きで笑い好きの私には、まだ不安
「まだです、先生。もう少しリハビリをお願いします。」

「わかりました。じゃぁもう少し続けましょう。」

かなり、粘りました。先生もかなりリハビリに付き合ってくれました。

最後にはベラベラしゃべる私を見て妻に
「本当にこれ以上に、しゃべっていたんですか?漫才師なみですけど。」
と先生は言っていました。

前回の診察で手術はやめようと決めましたが、その事は奥さん以外には伝えていませんでした。

そしてその診察から数日が経過して、次に内科の先生の診察を受ける事になりました。
「なんて、言おうかな」
手術を辞めた事を内科の先生にどう伝えようか、色々と悩んでいました。

内科の先生は、手術の事はリハビリが終わってからでも良いよ。とは言ってくれましたが、多分私が手術を受けるだろうと思っていたと思います。

「もやもや病」は難病と言われていて、完治という事はないのですが、今現在の治療方法として最適とされているのは外科手術なのです。
その一番最適とされている外科手術を断るとは思っていなかっただろうし、実はこの病院を退院する時(この後、リハビリ専用の病院へ転院して入院してました。)内科の先生は、手術の為の色々な検査をしてくれました。

CTで頭の中を調べてくれたり、エコーを使っては何度も何度も血管を確認してくれました。
私はリハビリ病院の転院がかなり早く決まりましたので、先生は忙しい中、付っきりで私の検査をしてくれて、しかも退院する時間ぎりぎりまでエコー検査をしてくれていました。
退院する最後には、生活において気をつけないといけない事を丁寧に説明してくれて、私をリハビリ病院へ送り出してくれました。

そんな先生に
「なんて言えばいいんだ!」
手術がイヤで人のせいにまでにして、さらに忙しい中で色々検査をしてくれた先生に、どう説明したらええねん。
「手術が怖いから、辞めます。」とも情けなくて言われへんし・・・。

そんな事を考えていると診察室から名前を呼ばれて、診察室に入っていきました。

先生は椅子に座りながら私の顔を見て、ニコッとしながら
「手術はどうする事にしましたか?」と聞かれて、
私は「いきなりその話題から入るとは」と思い焦ってしまい、
とっさに出た言葉が、
「様子見でお願いします」
「えっ」
先生がちょっとビックリしたような口調で聞き直しましたが、私は今現在で使える頭の中をフル回転させながら「続き続き・・・」と考えて出た次の言葉が、
「あー、仕事が忙しくて・・。早く仕事に復帰したいなと思ってまして・・・」

その後も、なんやかんや言ったとは思いますが覚えていません。
けど先生はまた、ニコッとしながら
「じゃぁ様子を見ましょう。」と言ってくれました。
私はなんとか先生に伝えられた。と思い、先生に頭を下げ診察室から出てきました。

診察室から出てきた時、なんとか先生に言えた達成感と、手術を受けないで良い安心感が、なんか一つの大きな仕事をやり遂げた感じでホッとしました。
「手術はなしや!」
頭の中はもうその事で一杯になり、その日はニコニコしながら病院をあとにしました。


けど先生は知っていたんですね。たぶん。
私の本当の気持ちを。
「ありがとうございますっ!」

以前、「特定疾患とわかったら」で特定疾患の簡単ではありますが、ブログに書かせてもらいました。

では特定疾患の申請をして、国や都道府県に認定されると手元に遅れれてくるのは何かといいますと、特定医療費受給者証というものです。
これは、病院等で診察や治療した時に発生する医療費の自己負担の一部、または全部の費用を国や都道府県が負担してくれるというものです。自己負担の一部と、または全部の費用とありますが、これは世帯の収入によって決まります。

世帯の収入が低いと費用を負担が少なく、世帯の収入が高ければ高くなります。基本は医療費の患者負担割合は2割となっていていますが、一定の金額が超えるとその分は負担してもらえます。
その段階は6段階に分かれていて、市町村民税の金額によって段階がわかれています。

 階層区分として
 ・生活保護
 ・低所得Ⅰ  市町村税非課税世帯    本人収入~80万円
 ・低所得Ⅱ  市町村税非課税世帯    本人収入80万円超~
 ・一般所得Ⅰ 市町村税7.1万円未満  本人収入約160万円~約370万円
 ・一般所得Ⅱ 市町村税7.1万円以上25.1万円未満
           本人収入約370万円~約810万円
 ・上位所得  市町村税25.1万円以上  本人収入約810万円~
となっています。

 上限負担金額は(月単位)
 ・生活保護  一般 0               高額かつ長期 0
 ・低所得Ⅰ  一般 2,500       高額かつ長期 2,500
 ・低所得Ⅱ  一般 5,000       高額かつ長期 5,000
 ・一般所得Ⅰ 一般 10,000     高額かつ長期 5,000
 ・一般所得Ⅱ 一般 20,000     高額かつ長期 10,000
 ・上位所得  一般 30,000     高額かつ長期 20,000
となっています。

上限負担金の「高額かつ長期」とは、月ごとの医療費総額が5万円を超える月が年間6回以上ある者となっています。これは、例えば医療保険の2割負担の場合、医療費の自己負担金額が1万円を超える月が年間に6回以上あるという事です。

これは、一つの病院だけではなく、複数の病院でも全て合算されます。
そのために、もう一つ特定医療費受給者証とは別に送られてくる物があります。
それが特定医療費自己負担上限額管理表
です。

これは複数の病院でかかった医療費を管理するもので、病院の会計の時に渡すものです。
小冊子の様な形になっていて、月ごとの医療費がわかるようになっています。自分で書く事はできず、必ず会計の場所で渡して病院の方に記入してもらってください。

私はいつも診察後、会計に特定医療費受給者証と特定医療費自己負担上限額管理表を一緒に提出しています。すると支払いの時に管理表には今回かかった金額が記入されて渡してもらえます。

これは、お薬を貰っている場合もこちらが適用されます。
薬局でこちらの2点を出すと病院と同じように適用されるので、忘れずに渡すようにしましょう。

こちらの特定医療費受給者証と特定医療費自己負担上限額管理表はあくまでも、特定疾患の病気に対しての診察や治療に適用されるので、風邪をひいた等の別の病気では適用されません

私は昔、風邪をひいてこちらの2点を出したのですが、受付の方に今回は使えませんよ。と言われて少し恥ずかしい思いをしましたので、みなさんも気をつけてください。

後、もう一つ気をつけなければいけない点があります。
それは、国や都道府県に認定されている病院や薬局でないとダメだという事です。
認定医を調べたい場合は「都道府県別指定医一覧」で検索をしてみて下さい。各都道府県の指定医が調べられると思います。


私は「もやもや病」という病気になってしまい、38歳の時に脳出血をおこしてしまって倒れてしまいました。

一瞬にして身体の右半分が動かなくなり、救急車で病院に運ばれました。
年齢も若い?事もあり原因を調べると「もやもや病」という難病である事がわかりました。

この難病は国から特定疾患と言って、公的な助成を受ける事ができます。
難病はこの「もやもや病」だけではなく、数多くの病気がありその一つが「もやもや病」です。

まず私の場合は、搬送された病院で特定疾患の事を教えて頂き、その時に言われたのが直ぐに特定疾患の手続きをして下さい。という事でした。
この手続きをすると、先ほども書きましたが公的な助成を受ける事ができます。
公的な助成とは、医療費の自己負担の一部、または全部の費用を国や都道府県が負担してくれるというものです。

これは発病した日から適用されるのではなく、適用基準日は申請が認定された日からとなりますので、特定疾患とわかったら直ぐに申請をした方が良いです
特例として申請をしようとした難病認定日にさかのぼって医療費補助を適用してくれるともありますが、あくまでも特例なので、後から後悔をしない為にも早めの申請をした方が良いです。

私の住んでいる大阪では(ほかの都道府県でも大体同じだと思います)
 ・特定医療費(指定難病)支給認定申請書(自ら記入)
 ・臨床調査個人票(先生と自ら記入)
 ・世帯全員の住民票(マイナンバーがついている方が良いかも)
 ・健康保険証の写し(全員分)
 ・市町村民税課税証明書
 ・印鑑

見ただけでも色々あり、直ぐに用意できないものもあると思いますが、その時はとりあえず先生からの診断書等だけでも持っていって、申請をした方が良いです。
用意できないものは急な事で用意できなかった事を伝え、後からでも用意すれば良いと思います。
とりあえず早めの申請です。
私の場合は直ぐに先生が診断書を書いてくれて、その日に嫁が手続きに行ってくれました。
ただ、申請には国が指定した病院、医師ではないといけないので注意してください。
(私の時はまだ、そのような指定病院等はありませんでした。)

ではどこに手続きに行けばよいかという事ですが、それは住んでいる場所の保険所になります。
あくまでも病院の場所ではなく、住んで居る所の管轄です。

申請をしてそれが認められると、特定医療費受給者証というものが送られてきます。
これは助成を受ける事ができますよという証で、申請後直ぐには発行されません
2~3か月程かかります。私も結構な月日がかかりました。
この受給者証が手元に届いてから初めて助成が受けられるのです。

では、申請してから受給者証が手元に来るまでの医療費はどうなるの?

受給者証が来るまでは、医療費は自己負担(3割負担等)になります。
しかし、入院等では確実に金額が高くなるので、高額療養費として健康保険組合や国民健康保険等に限度額適用認定証の支給申請をしておくのが良いと思います。私もそのようにしました。
申請は後からでも良いのですが、入院等の医療費の3割負担の支払いとなると結構高額ですので、金額がわからない場合でも、先の申請をお勧めします。(どちらにしても高額療養費の適用金額となると、申請はしないといけないので)

一旦は病院に医療費(高額療養費分又は3割負担等の金額)を支払う事になりますが、受給者証が来れば還付申請をすることができます。
還付には受給者証と一緒に送ってくる「特定医療費(指定難病)証明書」に病院の証明をもらって、「特定医療費(指定難病)請求書」に必要事項を記入し送付する事で還付されます。
あくまでも還付は高額療養費分までとなります。

受給者証がくるとその後の医療費については助成を受ける事ができますので、安心です。

私もこの特定疾患医療費助成制度にはとても助けて頂いています。難病といわれる病気もそうですが、それに指定されていない病気等で苦しんでいる人達も数多くいます。その中で助成を受けれる事はとても幸せな立場にいると思います。その助成制度を受けるためにも、迅速に申請をして下さい。

外科手術をしようと決めたのは良いのですがやっぱり不安で、わからない事や聞きたい事なんかが一杯でてきました。

この頃は、リハビリのお蔭で立つこともできて、握力も小学校低学年ぐらいの力が出るようになっていました。

いつまでも入院もしていられず、早く働かないと我が家の財政は破綻してしまう、等の経済的不安もあり、外科手術を受けるとなるとまた入院等で働く時期がずれてしまう、
「いったいどのくらいの日数で退院できるのだろう?」という不安もありました。

入院費用については「もやもや病」が特定疾患に認定されていましたので、特定疾患医療費助成制度という制度から助成金を出して頂いていたので心配はあまりなかったのですが、それでも入院となると多少の金額は必要です。

特定疾患の事や特定疾患医療費助成制度の事は、また後にブログに書こうと思います。

色々な不安もありながら、リハビリ期間もそろそろ終わる目途が立ったので、最初に搬送された病院へ診察に行く事になりました。

今回診察を受けるのは、倒れた時からお世話になった脳内科の先生ではなく、脳外科の先生の診察でした。
初めての先生でしたが、今考えてる事や不安に思っている事などを、自分中で納得するまで全て聞いてみようと考えていました。

いざ、診察です。診察室に入ると先生が椅子に座っていて、忙しそうに目の前のパソコンを見ながらデータでしょうかカタカタ何やらをキーボードで叩いています。私が椅子に座るとパソコンを叩きながら、「いつ、入院できますか?」
と一言いわれました。

「えっ、」

色々と先生に聞きたい事等を考えていたのですが、その一言で私は骨を折られた様になってしまいました。
少しあっけにとらわれていた私に
「この日からこの日までは忙しいので、この日以降が私は良いのですが。」
と続け様に言われました。

また私は「えっ、」となってしまいました。

完全に向こうは私が外科手術を受けると思っていて、ただ、日にちを決めるだけの診察だった様なのです。
自分の中では手術をする事を決めたのは決めましたが、色々聞きたい事等もあって質問やらなんやら考えていたのに・・。
段々と頭に血が登りだしましたが、「言いたい事、言わな」と思い、

「手術してから退院までどのくらいかかるんですか?」
「2週間から3週間ぐらい」
「それで両側の頭の手術が終わるんですか?」
「片方づつです」
カタカタ・・カタカタ・・
「じゃあ、また片方の手術するとしたら、一か月以上は退院できないんですか?」
「すぐには出来ません」

「それじゃあ・・」
先生は私の顔を一度も見る事はなく、
「入院の資料渡してあげてー」と傍にいた看護婦さんに言って、看護婦さんから入院資料を手渡してもらいました。

「入院の日はこの日にしときます。入院の説明は受付で聞いてください」
この日の診察はこれにて終了でした。

「やめや!やめや!」
診察室から出てきて直ぐに考えが変わりました。

確かに不安等がかなりあったので、今思えば気持ちも冷静になっていなかったとも思えますし、先生も日にち決めるだけで、何を今さら聞いているんだ?と思っていたでしょう。
しかし、その時に思ったのは
「手術なんて、やんぺや!」でした。

しかし、本当は心のどこかで安心していました。本当は手術を受けたくなかったし、怖かったのです。何か理由を付けて手術を回避できたら、と思っていました。
色々と理由をつけて、挙句の果てには先生を理由にしたりと今では申し訳ないです。

先生ごめんなさい! m(_ _)m
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プロフィール
もやもや病
もやもや病
2017
HN:
ぐっさん
性別:
男性
趣味:
海での釣り
自己紹介:
はじめまして、
ぐっさんと言います。
もやもや病という得体の知れない病気にかかり、右半身が不自由になりました。
なんとかリハビリのお蔭でかなり回復し、大好きな釣りがやっとできる様にまでなりました。
日常の事、病気の事など書いていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
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