もやもや病と診断され、右半身が不自由になりましたが、「なすがままに、何とかなる」精神で結構明るく生きています!
私はもやもや病で脳内出血を起こして、病院へ運ばれて入院をしていました。その時に服用していた薬を、月に一度、近くの総合病院で薬をもらって現在でも常時服用しています。
みなさんもご存じだとは思いますが、もやもや病というのは原因不明の病気で、もやもや病専用の薬があるわけでもなく(将来的にはできると良いですね)これを飲んでいると病気が治るとか、特効薬があるわけではありません。
私の周りには同じ病気の人はいませんし、知り合いもいません。
そこそこ珍しい病気なのでほとんどの人が、私と同じ様に病気の事とかを話したり、聞いたりは出来ないと思います。
そんな事もあって、せめて自分の体験を他のもやもや病の人たちや、そのご家族や友達などに知ってもらえたらいいなと思ったのが、ブログを始める1つのきっかけになりました。
今私が服用している薬は、朝と晩の1日2回です。朝と晩とも同じ薬を服用していますが、朝だけ胃酸を抑える薬が追加されています。
私の場合は脳内出血を起こした為でしょうか、血圧を抑える薬と血管を広げる薬を1錠づつ飲んでいます。
ちなみに薬をもらう時に薬の説明書というのをもらいます。みなさんも風邪をひいた時など病院へ行って、処方箋をもらって薬局に行くとお薬と説明書をもらいますよね。あれと同じものを毎回もらうのですが、そこには「グレープフルーツ果実やジュースは避けてください」との説明が書かれています。
「もやもや病という病気になりまして・・・」と言っても「なんですか?それは?」と言われる事が多いですが、「薬飲んでるからグレープフルーツがアカンねん」と言ったら、なぜか「あっ、それ知ってる!」という人は結構います。
私は病気になるまでは知らなかったのですが、世間ではちょっとした「あるある」な事なんですかね。
グレープフルーツがなぜダメなのかは私にはわかりません。多分、その理由を聞いたとしても私には全く理解はできないでしょう。なので書いてある通りにグレープフルーツは、ず~っとご無沙汰です。
倒れた時の状況や、倒れる前に「もやもや病」とわかった人たちとでは、飲んでいる薬が私と違っていたり、薬を飲んでいない人もいるかもしれません。
私は外科手術をおこなっていませんが、手術をした人たちとも違うとは思います。
薬を飲んでいる方は忘れずにちゃんと飲みましょうね。
あっ、先日友達からガムをもらったんですけど、グレープフルーツ味でした。思わず食べちゃいましたが、これって大丈夫ですかね?
最初は看護婦さんか作業療法士の先生の見ている前ではないと、車いすの乗り降りは禁止でしたが、リハビリのおかげで一人でも乗り降りの許可がでました。
許可が出る前は、病室からリハビリ室までの往復だけのつまらないものでしたが、一人でも乗り降りできるという事は、一人で車いすに乗って病院内を探検できるという事なのです。
私は身体の右半分が不自由になってしまいましたので、動くのは左手と左足だけです。しかし乗り降りの許可が出た頃には、何とか両足で立つことだけはできる様になっていて、歩行も4点杖を使ってなら少しは歩ける様にもなっていました。
4点杖というのは、みなさんがよく知っている杖(1点杖といいます)とは少し形状が違っていて、取っ手の部分は同じなのですが、地面に付く部分が1点ではなく4点になっていて、かなり安定していています。
杖自身を直立して立てて置けるぐらい安定しています。
私はまず4点杖を使って歩くリハビリをしましたが、「これはなんと素晴らしい道具なんだ」と感動すらした程のかなりの代物です。
この4点杖を病院のリハビリ室から常時借りていて、私はこの4点杖を相棒と呼んでいて、この病院を離れるまでずっと一緒に過ごしました。
ベットから車いすへの移動の仕方なのですが、ベッドの横に車いすを寄せて4点杖を使いながら立ち上がり車いすに着地する。
ただこれだけの事なのですが、最初の頃はかなりきつくて大変でした。一日に何回も何回もできるような事ではなく、かなり自分自身に気合を入れないとできない作業でした。
ただ病室から離れ、一人で行動したいという一心で頑張ってました。
先程も言いましたが、この時にはなんとか立つ事はできたのですが、右手の方はほとんど動いてはいませんでした。車いすに乗ったのはいいんですが、右手は使えません。
車いすというのは両手で車輪を回して前に進むものです。私のような片手で車輪を回すとどうなるかというと、お分かりだとは思いますが前に進む事ができません。その場でクルクル回るだけです。
本当に予想以上に回ります。
クイズ〇イ〇ショックの罰ゲームとまではいきませんが、前には進めません。
そこで私は車輪を回すのではなく、身体が動く左足で漕ぐという事をして前に進んでいました。
両手は車いすの取っ手に置いて、ひたすら片足のみで前に進む。
見た目もヘンナ感じですが、漕いでいる私はかなりの体力を消耗します。
ダイエットしとけばよかった。
「食べすぎや、もうやめとき!」と嫁さんに言われてケンカした時もあった。
そんな事を思いながら病院の1階にあるコンビニに一生懸命に、ひたすら車いすを漕いでいき、今まで我慢に我慢をしていた「やきそばパン」を買いにいった。
この時の心境は、学校自体の不安というものは全く無かったのですが、クラスの人たちはどういった人がいるのだろう。
怖そうな人とか、性格の悪い人とか居たらどうしよう。
あまり相手にせえへんかったらええか!いや、ひつこく何か言われたらどうしよう。とか、まるで、高校の初登校と同じ様な感覚で(私の行っていた高校は、そんなに良い高校ではなかったので・・・)学校の心配より、クラスの人の心配をしていました。
学校に着いて、集合場所である教室に向かい扉を開けると、少し違った感じにとらわれました。
違った感じとは、もう数名の人たちがすでに席について座っていたのですが、みんな私服を着ていて、年齢も年上の人たちばかりだったのです。
私は違った感じと言いましたが、これは当たり前のことで、めちゃくちゃ普通の事なのですが、私の中では学校という名称だけで完全に高校等のイメージが無意識のうちに出来上がってしまっていて、スーツを着た同じような年の人たちが集まっていると、勝手にイメージしていたんです。
現に私は初登校の日はスーツで来ていました。
みんなに「こいつスーツで来てるぞ」みたいな感じで見られてるんやろなぁ。と思いつつ、私服に着替えたいと思ってもそんな事がここでできるわけでもないし、だからといって年の若かったウブな私?が堂々とできるわけでもないし、とりあえず席に座ろうと思い、自分の名前が書いてある席に座る事にしました。
後から来る人たちも私服で来られて「あ~っ」と思っていたら、スーツを着てさらに同じ様な年齢をした方が隣りに座ってきました。
「よっしゃー!」と心の中でガッツポーズをして、隣の人にあいさつをしてさっそく自己紹介をしました。その後に「私服の人多いですよね。私服でよかったみたいですね」と私が言ったら、お隣さんは「そうですね。同じスーツの人がいてくれてよかったです!」と笑いながら答えてくれました。
「私も良かったです」と普通に話をしていましたが
なんて良い人だ!
こっちこそ、ありがとう!
あなたが来てくれて本当に良かった!!
私はお隣さんに心の中で深く感謝をして、
「年はいくつですか?」と尋ねたら
「39歳です」
「えっ」
私よりも10歳も年上!めっちゃ若く見えるやん!
ちょっと距離を感じた瞬間でした。
その子猫が家の周りをウロウロしているのですが、毛色とその特徴を見ると「親猫はあいつだな。」とわかるぐらいよく似ています。
私の部屋は1階で、大きなスリガラスの窓があり、家の裏側に面しています。
そこから外に出る事もできますが、別に裏庭があったりとか、ましてやプール何てものはありません。すぐそこに裏のお家が建っていて、人が一人やっと通れるぐらいのまさしく「スキマ」ぐらいしかありません。
スリガラスなので外の様子はあまり分からないのですが、猫がそこを通るとよくわかります。
部屋にいると時々、彼ら(彼女?)達は裏のスキマを往来するのですが、私はたまに窓を「す~っと」開けて覗いてみます。
覗くなんて、あまり良い性格ではないのは重々分かっているのですが、たまに覗いてみたくなるのです。
すると親猫は慣れたもんです。少し距離をとってから立ち止まって「じ~っと」私を見つめてきます。この私と親猫の見つめあいは、どちらかが諦めるまでしばらく続きます。当初は私が勝利していましたが、最近では子を持つ親はさすがに強く、私が負けます。
子猫たちといいますと、私が覗くとあわてて振り向きもせず逃げていきます。その走っていく姿が「めちゃくちゃ可愛い」のです。
何度も言いますが、あまり良い性格ではないのは重々分かっているのですが、そのアワテタ子猫たちを見たいが為に「す~っと」窓を開けて覗いてみるのです。
しかし、子猫たちも成長していくのでしょう。最近では親猫と一緒です。
少し大きくなった子猫たちは、私を「じ~っと」見つめてきます。
「もうお前なんかこわくない!」そんな事を思っているのでしょうか。
それとも、「いつも覗いてくるヘンナヤツ」と思っているのでしょうか。
私は子猫たちに「じ~っと」見つめられて「すいません」とひとこと声をかけて窓を閉める事となります。
あの子猫たちは、もっともっと成長して親から離れ、親猫になっていくのでしょうね。
最近プライベートの事で色々あったんですけど、そんな時あの子猫たちは私に癒しをくれて、また、成長していく姿も見せてくれました。
ノラ猫という境遇の中、強く生きている彼ら(彼女?)達を見て自分も「頑張らなあかんなぁ」と思っています。
けど、親離れするまではまだ覗いてやるから、「勝負は終わってないぞ」
先生とは定期診断の時に会って話をしますが、先生は手術の事に関しては聞いてはきませんでしたし、私も話す事はしませんでした。
このまま手術に関しては話に出る事はないだろうし、私も受けるつもりはありませんでした。
しかし、先生から
「転勤が決まってしまい、次回から別の先生に担当が変わります。次の担当の先生にはちゃんと色々と伝えておきますね。」と言われました。
色々と良くして頂いていた先生だったので、かなり残念でしたけど、「私もついていきます!」とは言えないので、今までの感謝の気持ちを伝えて診察室を出てきました。
そして、次の定期診断の時に現在の先生に出会う事になりました。「外科手術が一番良いらしいけど1(手術を受ける?編)」
先生は以前の担当の先生から、私が外科手術を受けないという事を聞いてくれていました。
その事も私に話してくれた上で、
「今も手術を受けるつもりはないですか?」と聞いてきました。
あえてなぜ受けないのかは聞いてきません。先生の優しさなのでしょう。
その後も先生は、外科手術の重要性について丁寧に説明をしてくれましたが、私は、手術を受けるとは言いませんでした。
最後に先生は「手術の事とか、解らない事とかあったら、いつでも来てください。」と言ってくれて、次回の診察日を予約して帰りました。
私は外科手術を受けていない事を肯定している訳でもないですし、私は受けてないけど大丈夫ですよ。とか言っている訳でもないです。
難病といわれている「もやもや病」の治療方法は、現在ではやはり外科手術が一番なのです。
もやもや病の方で外科手術を受けた人はたくさんいると思います。
けど、私のように手術をためらっている人もたくさんいると思います。
私の様に手術が怖いと思う人もいると思いますし、手術を受けた後の後遺症とかを考えている人もいると思います。
特に女性の方は身体にメスを入れるとなると、かなり悩まれると思います。
けど、最終的には自分で決めなくてはならないのです。
一杯、いっぱい悩んで決めたら良いと思います。
色んな人にも、いっぱい相談もしたら良いとも思います。
生死を懸けなくてはならない事かも知れませんが、いっぱい悩んで、いっぱい考えたら良いと思います。
だって、「もやもや病」も自分の人生のひとつなんですから。
私が倒れてしまった時に身体の右半分が動かなくなり、その右足のリハビリをして頂いた先生が理学療法士の先生で、右腕のリハビリをして頂いたのが作業療法士の先生でした。
実はもう一つリハビリをして頂いていた先生がいます。
それは言語聴覚士の先生でした。
私が倒れた時に右半分の身体が動かなくなっていましたが、言葉にも障害が出ていました。
私が考えた言葉がその通りにはしゃべる事ができず、全然違う言葉で喋ってしまうのです。
集中治療室で、のどがめちゃくちゃ渇いたので
「水が飲みたい」と言いたかったのですが、
「ご飯が食べたい」
とか言ってしまうのです。
私は確かに食いしん坊ですが、今ご飯が食べるれる現状かそうでないかぐらいは、わきまえているつもりです。いい歳でしたし。
けど、言ってしまうのです。
なぜ訳の解らん事を言っているのか自分ではわからないのですが、耳から聞こえた言葉は、今までと同じ様に聞こえるし、判断ができるのです。
だから、自分の言った言葉に
「ちゃうちゃう、水がほしいねん」と頭の中でツッコミをいれ、また言い直して看護婦さんに
「ご飯が食べたい」
あー、あかんがな、また同じこと言っとるがな・・・
となってしまい、動く左手を横に振り、自分ののどを指さして伝えるような事をしていました。
看護婦さんも慣れたもので、言葉がうまくしゃべれないのを解っていたのでしょう、水を持ってきてくれて飲ましてくれました。
しかし、倒れてから日数が進んでくると、自然と訳わからん言葉病は無くなってきました。
先生いわく、頭の中で出血するとその出血したものが、周りの脳を圧迫してそういった現象になると言ってました。
ただ、段々と出血したものが脳内で吸収されて元に戻ったりするらしいです。もちろん元に戻れば良いですが、そうでない事もあるようです。
私の場合は本当に戻ったのか?
昔から、しゃべり好きで笑い好きの私にとっては、
「あかん!元にもどってない!」と思って先生に相談しました。
すると先生は言葉の方もリハビリをしてもらいましょうと言ってくれました。
そこで来てくれた先生が言語聴覚士の先生でした。
若い男の先生で、とても優しい先生でした。白衣を着ているので先生と見分けがつきますが、多分普段着だと、優しそうな学生さんと間違えてしまう様な方でした。
いつも身体のリハビリを終えると、その先生と部屋の中でのリハビリを始めました。
本の朗読をしたり、絵の描いたカードを何枚も出して「これは何ですか?」と絵に描いてあるものを言ったりと、まるで小学生の授業の様な時間でしたが、その時の私の状況ではかなりの刺激になりました。
先生のおかげで、段々と自分でも思った事をしゃべれるようになってきました。すると先生は
「もう大丈夫でしょう。これでリハビリを終わりましょう」
と言ってくれましたが、しゃべり好きで笑い好きの私には、まだ不安で
「まだです、先生。もう少しリハビリをお願いします。」
「わかりました。じゃぁもう少し続けましょう。」
かなり、粘りました。先生もかなりリハビリに付き合ってくれました。
最後にはベラベラしゃべる私を見て妻に
「本当にこれ以上に、しゃべっていたんですか?漫才師なみですけど。」
と先生は言っていました。
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プロフィール
ぐっさん
もやもや病
HN:
ぐっさん
性別:
男性
趣味:
海での釣り
自己紹介:
はじめまして、
ぐっさんと言います。
もやもや病という得体の知れない病気にかかり、右半身が不自由になりました。
なんとかリハビリのお蔭でかなり回復し、大好きな釣りがやっとできる様にまでなりました。
日常の事、病気の事など書いていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
ぐっさんと言います。
もやもや病という得体の知れない病気にかかり、右半身が不自由になりました。
なんとかリハビリのお蔭でかなり回復し、大好きな釣りがやっとできる様にまでなりました。
日常の事、病気の事など書いていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。
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